私事ですが、ただいま京都大学総合博物館で開催中の「ジョルジョ・ヴァザーリのウフィツィ: 建築とその表現」展の関連イベント、題して「ナイトミュージアム」でちょっとだけヴァザーリの『芸術家列伝』についてお話しさせていただきました。
一般向けということで学術発表の体裁はとっておらず、これを再利用する気もいまのところないので、原稿公開しちゃいます。暇つぶしにどうぞ。
「ヴァザーリの読み方を知らねばならぬ Bisogna sapere come leggere Vasari」——『芸術家列伝』とその創作的側面
はじめに 現実と虚構のあいだ
私は小さい頃から本を読むのが好きで、小学校でも中学校でも学校の図書室にはよくお世話になったクチなのですが、そのなかでもとりわけ好きな本のジャンルはなんといってもファンタジー小説で、逆にあまり読まないものはノンフィクション、特に偉人の伝記でした。でも、小説と伝記のちがいっていったい何なのでしょうか。小説は虚構の世界で、伝記は現実に起きたこと…というのが、一般的な理解だと思います。しかしよく考えてみると、小説にもリアリティをもたせるため現実にあったことを織り交ぜることは多々あるし、伝記でも、特に歴史上の人物の伝記だったりすると、「ほんとうにここまで細かいことが分かるのか?」「どこまでほんとうのことなのか?」と疑いたくなることも少なくないですよね。現実と虚構の境目は、私たちが思っているよりも、だいぶ曖昧なものなのかもしれません。
私の研究対象である『芸術家列伝』(以下『列伝』)は、この虚構と現実の合間に位置していると言ってよいでしょう。今回の展覧会の主役であるジョルジョ・ヴァザーリが著したこの壮大な書物は、中世末期の13世紀ごろからヴァザーリと同時代の16世紀に至るまでの、実に170人を超える芸術家の人生と作品について書いた伝記集です。それまでヴァザーリほど芸術家の人生を事細かに記した人はいませんでした。よくぞここまで書き残してくれたとばかりに、近現代のルネサンス美術史研究でも、ヴァザーリの著作は頻繁に引用され参照されています。
でも、常識的に考えて、ひとりの人間がそれほど多くの芸術家の人生について、正確に把握しているものでしょうか…しかも彼らの一部は何世紀も前に亡くなっているのに? 執筆から何百年も経ったいま、私たちはヴァザーリの記述に見られるちょっとした「間違い」を次々と発見しています。出生年や絵画の帰属の間違いならかわいいものなのですが、ときにはなんの根拠もないのに不当に殺人鬼に仕立て上げられたり、あるいは動物のように野蛮な生活をしたことになっているものですからたまったものではありません。そしてこのようなでっち上げの逸話の数々が、いろんな芸術家の伝記の要所要所に散りばめられているのです。芸術家の「ほんとうの」人生について知りたい美術史家にとっては、忌々しい存在であったにちがいありません。
伝記の正確さを求めるあまり、しばしば後世の研究者によって訂正が加えられてきたこれらの逸話ですが、近年これらを逸話というよりは読者へ向けてなんらかの教訓を送る「寓話」とみなし、ヴァザーリの創作として論じる研究者も出てきました。逸話がはたして実話であるか嘘であるかは大きな問題ではなく、この話を挿入することによって著者がなにを言わんとしているのかに注目しようという動きです。かつて美術史家ロベルト・ロンギが「ヴァザーリの読み方を知らねばならぬ」と彼の生徒たちに教えたように、その「読み方」をすこし変えるだけで、これらの逸話がひとつひとつの伝記のなかで明確な意味を持ちはじめるのです。
本日私は、ヴァザーリの『列伝』に頻発する、このでっち上げられた逸話のいくつかを取り上げ、やれ嘘つきだやれ不正確だと断罪されてきたヴァザーリ先生のために、この場をお借りして「ヴァザーリの読み方」を考えてみたいと思っております。皆さまに彼と『列伝』の新たな一面をご紹介できましたら幸いです。
1. 羊飼いジョット
ヴァザーリの『列伝』は、フィレンツェの芸術家たちが従来の不器用な様式を捨て試行錯誤を繰り返した結果ミケランジェロの世代になってついに至高の様式へと到達するフィレンツェ美術成長の物語です。三部構成になっていて、多少例外もありますが、おおざっぱに言うと第一部は14世紀、第二部は15世紀、第三部はヴァザーリと同時代の16世紀を扱っています。その第一部のいちばんの英雄、美術を荒廃から救ったまさにヒーローが、しばしばイタリア・ルネサンス美術の創始者として挙げられる、ジョット・ディ・ボンドーネです。それまでの絵画では神や聖人は人間とは一線を画す存在として威厳をもって描かれていたところが、ジョットの時代あたりから、人間的な表情を持った神の新しい描かれ方が登場してくるのですね。
ヴァザーリの語るジョット伝は出世物語です。しがない羊飼いだった少年が、美術界のスターダムへとのし上がります。そのきっかけとなった重要な場面、少年ジョットくんが当時の人気画家チマブーエ先生に見出され、その弟子となる部分をまずは読んでみましょう。
ある日チマブーエは用事があってフィレンツェからヴェスピニャーノ村へ向かったが、途中羊の番をしながら先の尖った石で平たい滑らかな石の上に実物の羊を写生しているジョットに出会った。ジョットは誰からもなにも教わったわけではなく、ただ自然を師として描いていたのである。チマブーエは立ち止まって眼を見はり、「自分と一緒に来ないか」とすすめた。その誘いに対して少年のジョットは、「父親さえ許してくれるなら喜んでついていきます」と答えた。
正直言って「よくある話」です。のちに大芸術家となるひとが、子どもの頃のうちにその才能を見出されるというストーリーは古今東西にあふれています。しかし、ここで注目すべきなのは、幼いジョットが羊飼いであったと明言されていること。というのも、ルネサンス期を生きたひとびとにとって、「羊飼い」のモチーフはキリストの象徴としておなじみのものだったのです。これは、聖書でキリスト自身が「わたしはよき羊飼いである」と言っていることに由来しています。
ということは、要するにジョットこそが美術界のキリスト、救世主として呈されるわけですね。元をたどればフィレンツェの口頭伝承に基づくこの物語は、ヴァザーリによってさらに意味深に練り上げられます。ジョットの師匠にあたるチマブーエの伝記に注目してみましょう。
絶え間なく襲い来る凶事の洪水は、哀れなイタリアを押し流し溺死せしめるに至り、およそ建築と呼ぶに値する建築をことごとく破壊したばかりでなく、芸術家をひとり残らず消滅に追いやってしまった。時おりしも、1240年、絵画芸術の世界に光明を投ずるべく、天はフィレンツェのまちに、姓はチマブーエ名はジョヴァンニなる男子が、当時の名家であるチマブーエ家の一員として、呱々の声をあげる配慮をなさせ給うた。
チマブーエの名はジョヴァンニとされています。これはヨハネのイタリア語名です。実を言うとチマブーエの本名はチェンニ・ディ・ペーポというのですが、洗礼者ヨハネはフィレンツェの守護聖人で、通貨のフィオリーノ金貨にも彫り込まれるほど、フィレンツェ市民にはおなじみの聖人でした。聖書によれば、洗礼者ヨハネはその名が示す通りキリストの洗礼という重要な役割を与えられています。ヴァザーリは意識的に、このフィレンツェを祝福しキリストを導く聖人とチマブーエとを重ね合わせているのですね。そうすることによって、チマブーエはフィレンツェをイタリア美術最高峰の都市へとガイドする案内人へと祭り上げられるのです。
チマブーエの弟子ジョットはまた、救世主のバトンを次々に次世代の英雄へと渡し、最終的にはヴァザーリと同時代の英雄ミケランジェロへと到達します。チマブーエの洗礼は、ジョットのみならず、いずれ訪れる真の芸術神ミケランジェロをも予告しているのです。
2. ジョットに倣いて
さて、美術の救い主ジョットは、芸術家たるもの持つべきとヴァザーリ語るさまざまな美徳を備えた人物として登場しています。まさにキリストの如く、あらゆる芸術家が倣うべき模範として示されるのですね。一例として、ジョットは、自らの容姿・見てくれに頓着しないひととして描かれます。ヴァザーリがジョット伝のなかでペトラルカの書簡から引用してくる一文を見てみましょう。
古代の画家でなく近代の画家、それも外国の画家でなく同国の画家についていえば、私は、顔かたちは美しくないが、たいそうすぐれた画家を二人知っている。そのひとりはフィレンツェのジョットで、彼の評判は同国人の間で非常に高い。いまひとりはシエナのシモーネ・マルティーニである。私はほかにも二、三の彫刻家を知っている、云々。
外見はどうであれ、精神あるいは技術というような内面の良さをご覧あれ、というわけです。この「外見よりも内面を見ろ」というテーマは、『列伝』に繰り返し登場します。外見とは必ずしも美形であるか否かということではなく芸術家たちの服装も含まれているようです。ヴァザーリは引用こそしていないものの、ボッカッチョ伝えるジョットが自らの服装にも無頓着であったということを表す逸話にも触れていますし、ジョットの見てくれが褒められたものではないことはヴァザーリにとって大事であったとうかがい知ることができるでしょう。
外見を気にしない芸術家は、15世紀の芸術家を扱う『列伝』第二部にもたびたび現れます。ご存知フィレンツェ大聖堂のドーム部分を作った建築家ブルネレスキ、その友人の画家マザッチョなど。また、『列伝』には引用されていませんが、彫刻家ドナテッロについても自らの着物に関心の薄いエピソードが、当時の書籍商ヴェスパシアーノ・ダ・ビスティッチによって書き残されています。ちなみに『列伝』では、これらの芸術家は皆、のちの時代に現れる芸術神ミケランジェロへの布石となっています。彼らはそれぞれ、15世紀版ミケランジェロなわけです。
逆に、着飾る芸術家はどのように語られているのでしょうか。16世紀のシエナの画家ソドマの例を見てみましょう。ヴァザーリ描写するソドマは画家としてはまずまずの腕でしたが、向上心がなく努力もせず、若くてかわいい男の子を周りにはべらせ、大好きな動物をたくさん飼って家は動物園状態…という、まさに趣味人、自由気ままな男です。ヴァザーリの描写を読んでみると…。
それなのに彼〔ソドマ〕はいつも下らぬことにばかり気を注ぎ、気が向いたときしか仕事をしなかった。ただひとつ気にかけていたこととといえば派手派手しく着飾ることで、浮き織り錦の上着や金の布飾りのついたマント、きらびやかなボンネット、首飾りなど、その他取るに足らぬものや道化師や芸人が持つようなものを身に着けていた。
ヴァザーリが眉をひそめる姿が目に浮かぶようですね。ソドマのおしゃれを「取るに足らない」とばっさり切り捨てています。ソドマのパトロンであったアゴスティーノ・キージにとってはこのシエナの画家の奇抜なファッションはなかなか楽しめたようですが、それもヴァザーリの記述を見る限り、一緒になって楽しむのではなくソドマの滑稽さを見て笑っているようなふしがあります。ヴァザーリにとって、画家が自らの立場をわきまえず派手に着飾ることはNGなのです。
ただし衣服や装飾で着飾るのではなく、持ち前の美しさであれば話は別。絶世の美男子とうたわれるレオナルド・ダ・ヴィンチや、顔かたちの美しさのみならずその振る舞い方もデッザンされるラファエロは、よい例として提示されます。神から美を恵まれた芸術家は、同時に技芸における才能をも恵まれていると考えるわけです。内部と外部は必ずしも対立項ではなく、ときには連動し合うのですね。
その点において、若いときは美しさを誇った画家パルミジャニーノが、晩年金に目がくらんで錬金術にハマり、絵画のことをすっかり投げ出してしまったときには、かつての優美な姿はどこへやら、髭と髪をぼさぼさにのばした野蛮人のような姿になってしまった…という話は示唆的です。内面に美徳を備えたひとは外見を飾り立てない一方、外見は内面をそのまま映し出す鏡であるというような考え方も、『列伝』にはちらほら見られます。
3. 神の如きミケランジェロ
さて、『列伝』はチマブーエとジョットに始まり神の如きミケランジェロへと至るひとつの物語である由はさきほど述べましたが、では美術の最高峰、まさにトップ、神として位置づけられるミケランジェロはいかに描写されているのでしょうか。満を持して語られるミケランジェロの容姿は、やはり褒められたものではありません。特にその鼻の無様さについては、若いころの喧嘩で殴られ潰されたとヴァザーリは伝えています。そしてここに、ジョットから、ブルネレスキ・マザッチョ・ドナテッロを経由して、ミケランジェロに至る「見た目あんまりイケてない系男子」の系譜が完成するのです。
神の如きミケランジェロは、また、他人のファッションを断罪する権利をも有しているようです。
かつてミサを執り行っていたこともある、〔ミケランジェロ〕のある聖職者の友人が、銀と絹で飾りたててローマに現れ、ミケランジェロに挨拶しにきた。ミケランジェロは彼を知らないふりをした。それでその友人は自分の名前を明かさざるを得なくなった。ミケランジェロは彼がそのような身なりをしているのに驚いたふりをし、喜び勇んだように言い足した。「なんとあなたは美しいんでしょう! 中身も外見と同じようでしたら、あなたの魂にはよいでしょうに」
ミケランジェロの毒舌がキラリと光る逸話です。内側の美をたたえるミケランジェロは、聖職者のくせにきらびやかな装いでローマにやってきた友人を皮肉りますが、いかに笑い話に昇華されているとはいえ、そこにはヴァザーリ呈する「審判を下すものとしてのミケランジェロ」というイメージが透けて見えています。審判を下すものとは、いうまでもなく神のこと。ミケランジェロ作品のなかでも特に有名な、システィーナ礼拝堂に鎮座する《最後の審判》は当時から名声をものにしていましたし、この箇所を読む『列伝』読者の脳裏にかの絵がひらめいてもまったく不思議はありません。ジョットから連綿と続く「外見にこだわらない芸術家」の系譜はまた、神としての芸術家の系譜でもあるわけです。
よくよく考えてみれば、この世をつくり給うた神もまた、創造主、つまりクリエーター、いうなれば芸術家とみなすことができます。こうした考えは中世から脈々と培われ、ルネサンス期にはすでに神こそが第一の偉大な芸術家であると考えられていました。15世紀の理論家レオン・バッティスタ・アルベルティは、芸術家の活動を「第二の神」のそれとして位置づけています。このような土壌がもともとあったからこそ、ヴァザーリはミケランジェロを「神の如き」と形容し、さきほどのジョットの例に見るようなキリスト教的な暗喩を『列伝』に込めることができたのですね。そしてキリストもまた、質素な身なりと内面の美徳を理想としていたことは言うまでもないでしょう。
おわりに ヴァザーリの「寓話」余波
非常に駆け足ではありましたが、ヴァザーリの紹介するいくつかの逸話をとりあげ、その関連性を指摘することで、ある種の「読み方」をご提示できたかと思います。最後に、これらの逸話がヴァザーリ以降の芸術家によっていかに料理され愛されてきたかについて少しだけお話ししましょう。
少なくともヴァザーリが語る限りにおいてはジョットがそうであったように、羊飼いが鮮烈な画家デビューをする、という構図はのちの時代の画家たちにも好まれたようです。実にさまざまな画家が幼年時代は羊飼いであったということになっています。ひとつ例を挙げると、オーストリアの18世紀の彫刻家フランツ・グザヴェ・メッサーシュミットは、やはり羊飼いから身を起こして芸術家になったと語られてきましたが、史料を参照してみると代々彫刻家の家に生まれたことが分かっているそうです。
また、18世紀末から19世紀にかけて、『列伝』は絵画主題の宝庫となりました。古の巨匠たちは近代になるとヴァザーリがペンを走らせたページから飛び出し、キャンバス上に、若干の美化を伴って描かれているのです。フレデリック・レイトンやポール・ドラローシュの絵が例として挙がるでしょう。チマブーエに連れられフィレンツェを凱旋するジョットとそれを見つめるダンテ、あるいは工房でたたずむ孤高の芸術神ミケランジェロ。ヴァザーリの手を離れて、彼らはもう近代芸術家のひとつの理想像として描かれるようになっていきます。ヴァザーリが醜い芸術家として描写したジョットも、ギュスターヴ・モローに描かせればエキゾチックな半裸の少年に変身です。
さて、現代においてはどうでしょうか。ヴァザーリは確かにその名を現してはいないかもしれませんが、現代美術においてもその余韻はいろんなところに見えてくるような気がします。数えきれない「逸話」が現代美術の作家に関しても語られてきました。それらを鵜呑みにするのではなく、そういう物語がいかなるイメージをひとに与えうるか、あるいはいかなる時代のイメージがそこに反映されているか、ちょっと立ち止まって考えてみると、美術の世界はさらに面白くなるかもしれません。